田島診療所70周年企画
菅生君子さん、インタビュー
創設時の看護師さんに聞く
田島診療所には開設(1951年)の時からいました。
戦後内職程度の仕事しかしていない我が家に税務署が来て、ぼろぼろのタンスまで差し押さえしたんです。そこで父が生活養護同盟の神崎さん(後の衆議院議員)を訪ねて相談をしました。そのことがきっかっけで神崎さんの紹介で田島診療所で働くことになりました。写真はその頃のものです。
その後、医師会の看護婦要請所に行かせてもらい、資格を得、看護師として働きました。
当時診療所には在日朝鮮人の患者さんがたくさん詰めかけ、大変盛況でした
。 近くの他の医院は在日朝鮮人のお医者さんに日本人の患者さんがたくさん詰めかけ、不思議だなあと感じていました。田島の先生が優しかったからでしょうねえ。
中国から帰ってきた
高森先生や阪大、市大をやめて来られていた吉田先生、木村先生が奮闘、のちに野路先生が所長をされるようになりました。
当時は結核が国民病と言われており、毎日患者さんの家を二件ずつ訪問し射をしていました。大忙しの状況でしたが、みんなファイトがありましたね。
その後、沓脱先生(内科医、後の参議院議員)を手伝うために西淀の姫島診療所に移籍しましたが、看護師人生の始まりとなった田島診療所は忘れられない思い出です。